はじめに
1970年前後の日本の写真界で新たな潮流として登場した「コンポラ写真」。この写真スタイルは、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)や木村伊兵衛のスナップ写真へのアンチテーゼとして捉えられ、日常の何気ない瞬間を切り取ることで、新しい視点を提供しました。今回のブログでは、コンポラ写真の特徴、歴史、そして代表的な写真家や写真集について詳しく見ていきましょう。
コンポラ写真の歴史と経緯
コンポラ写真の起源は、1966年にアメリカのジョージ・イーストマンハウスで開催された「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape」展に遡ります。この展示会では、ブルース・デヴィトソン(Bruce Davidson)、リー・フリードランダー(Lee Friedlander)、ゲイリー・ウィノグランド(Garry Winogrand)、デュアン・マイケルス(Duane Michals)らが取り上げられ、社会的な風景を捉えた写真が注目されました。続いて1967年、ニューヨーク近代美術館での「New Documents」展で、ダイアン・アーバス(Diane Arbus)なども紹介されました。
日本では、これらの展覧会の影響を受け、特に山岸章二が編集長を務めた「カメラ毎日」がコンポラ写真の中心的な舞台となりました。この時期、日本の写真家たちは、アメリカの写真展のカタログを通じて、新しい表現手法を学び、独自のスタイルを展開していきました。
コンポラ写真の特徴
大辻清司が1968年の「カメラ毎日」で定義したコンポラ写真の特徴は以下の通りです。
・カメラ本来の形である横位置が多い
・写真表現のテクニックの否定
・日常の何気ない被写体
・誇張や強調をしない
・標準、または広角レンズが多用される
・撮影者の心境を現した、被写体との距離感
これらの特徴は、コンポラ写真が如何に日常の風景や人々の生活を素朴に、しかし深い洞察をもって捉えるかを示しています。石元泰博、高梨豊、佐藤弘子などの写真がこれらの特徴を体現しています。
コンポラ写真の論争
1969年、「アサヒカメラ」の座談会「コンポラかリアリズムか」では、高梨豊、中平卓馬、新倉孝雄、嬉野京子がコンポラ写真の擁護に立ち、桑原史成らと激しい論争を展開しました。この論争は、写真表現の新たな可能性を模索する場となり、コンポラ写真の位置づけについて多くの意見が交わされました。
代表的な写真家
これらの写真家たちは、コンポラ写真の代表的な存在として知られており、彼らの作品は、日常の一コマを通じて、見る者に深い感動や考察を促します。
コンポラ写真への異なる視点
コンポラ写真は「何が写っているかはわかるけど、何を撮ったのかわからない写真」と表現されることがあります。これは日常性への挑戦とも言えるでしょう。また、コンポラ写真という言葉が常に褒め言葉として使われたわけではなく、時に蔑視的ニュアンスで使われることもありました。
まとめ
コンポラ写真は、日常との関係を見つめ直し、写真を通じて時代の空気感を伝える表現方法です。デジタル時代を迎え、日常写真の拡散が進む中で、コンポラ写真が持つ独特の被写体との距離感は、今も多くの写真家や研究者にとって重要なテーマとなっています。このスタイルが持つ多様性と深さを、これからも多くの人が発見し、学び、そして共感することでしょう。