建築写真の分野で確固たる地位を築いた和田久士(わだ ひさし、1947年 – 2023年)。彼の作品は、単なる建築の記録にとどまらず、その土地の文化や歴史、人々の暮らしをも感じさせる独特の視点を持っています。木村伊兵衛賞を受賞した『アメリカン・ハウス』をはじめ、フランス・スペイン・イタリアの住宅や東京の歴史的邸宅を撮影した作品群は、建築と写真の融合が生み出す芸術の魅力を存分に伝えてくれます。ここでは、和田久士の歩みとその影響を詳しく見ていきましょう。
プロフィール:写真への興味とプロへの道
和田久士は、1947年に和歌山県太地町で生まれました。幼少期は病弱でしたが、成長とともにスポーツに熱中し、特に野球を通じて多くの友人を得ました。高校時代には写真部に所属し、親戚の暗室作業を見せてもらったことをきっかけに、写真の世界に興味を持つようになります。
大学は日本大学芸術学部写真学科に進学。当初は映画のカメラマンにも関心がありましたが、浪人時代に書店で「プロカメラマン」という職業の存在を知り、写真の道を本格的に志すことを決意しました。在学中には、公害問題が深刻化していた四日市で取材を行い、都市と環境の関係を記録する社会派の視点を培いました。
30代に入ると、和田は建築写真を中心に活動を広げ、国内外の住宅や歴史的建造物を撮影するようになります。特に、31~32歳頃にはアサヒグラフの別冊『黒澤明の世界』のために、映画『影武者』の撮影現場でスティルカメラマンとして黒澤明監督を撮影。撮影現場では、郷里の先輩である東宝の櫻木晶(さくらぎ あきら)氏とも再会し、映画制作の現場ならではの独特な緊張感とダイナミックな映像づくりを間近で経験しました。映画カメラと写真カメラの違いを意識しながら、自分なりの構図や光の使い方を探る貴重な機会となりました。
その後、建築写真の分野でさらに活動を深め、住宅の持つ文化的背景や生活の風景を捉える作品を多く発表するようになります。やがて、『アメリカン・ハウス』で木村伊兵衛写真賞を受賞し、建築写真家としての地位を確立していきました。

業績と実績:建築写真の新たな地平を切り拓く
和田久士の代表作の一つが、木村伊兵衛写真賞を受賞した『アメリカン・ハウス―その風土と伝統』(財団法人年金住宅福祉協会・講談社)です。本書では、イギリスやフランス、スペインなどヨーロッパの影響を受けながら、アメリカの広大な土地に根付いた住宅建築のエッセンスを、約300の実例を通して紹介しました。これは、単なる建築写真集ではなく、アメリカの「フロンティア精神」と日本の住宅文化との関係を考察する貴重な資料となっています。
また、ヨーロッパの伝統的な家屋を撮影した『ヨーロッパの素敵な家 フランス・スペイン・イタリア』では、各国の地方ごとの建築様式や集落の風景を、オールカラーの美しい写真とともに紹介。建築物が地域の気候や文化とどのように結びついているのかを、視覚的に理解できる一冊となっています。
さらに、東京に現存する歴史的邸宅を巡る『東京の歴史的邸宅散歩』では、迎賓館や旧岩崎邸庭園、鳩山会館など、貴重な文化遺産としての邸宅を丁寧に撮影し、その魅力を伝えています。
和田久士の作品は、単なる「建築写真」ではなく、そこに住む人々の生活や歴史が感じられるのが特徴です。彼の写真を通じて、建築の持つ文化的な背景を深く理解することができます。

専門知識とスキル:建築写真の美学と技術
和田久士の建築写真は、ただ建物を記録するのではなく、「住まいの持つ美」を最大限に引き出すことを目的としています。そのために、彼は光の使い方や構図に細心の注意を払います。例えば、フランスの住宅を撮影する際には、柔らかな自然光を生かして、温かみのある室内の雰囲気を伝える工夫をしました。また、アメリカの住宅では、広大な風景の中で家がどのように存在しているのかを強調するため、広角レンズを駆使して奥行きのある構図を作り出しました。
彼の撮影技術は、報道写真の分野で培われた洞察力にも支えられています。『四日市ぜんそく』の取材時に、都市の風景の中に「公害」という見えにくい要素を表現しようとした経験は、建築写真においても重要な視点となりました。つまり、建物そのものだけでなく、その周囲の環境や人々の暮らしを含めて写真に収めることで、より深いストーリー性を持たせるのです。
また、彼の作品には、日本民藝運動の創始者である柳宗悦(やなぎ むねよし)の「日常の生活道具の中に潜む美」という考え方の影響も見られます。これは、ありふれた住宅や家具、使い込まれた道具の中にこそ、本当の美があるという理念であり、和田の建築写真にもその精神が宿っています。

おすすめの写真集
アメリカン・ハウス
- 特徴:アメリカ住宅建築の多様性と本質を捉えた一冊
和田久士の『アメリカン・ハウス』は、アメリカ住宅建築の発展と変遷を探る貴重な写真集です。本書では、イギリスやフランス、ドイツなどヨーロッパ諸国の影響を受けながら、広大な国土と多様な気候に適応して進化してきたアメリカ住宅の本質を約300の実例を通して紹介しています。アメリカ独自の「フロンティア精神」を背景に生まれた建築スタイルがどのように日本の住まいに影響を与えてきたのかを考察できる点も魅力のひとつです。 - 見どころ:美しい写真と丁寧な解説で学ぶ住まいのヒント
本書の最大の魅力は、圧倒的なビジュアルと詳細な解説によって、アメリカの住宅建築を視覚的にも理論的にも楽しめる点です。様式ごとに分類された建築事例は、伝統的なものからモダンなデザインまで幅広く網羅されており、日本の住宅デザインにも通じるエッセンスを発見できます。戦後の日本の住まいに影響を与えたアメリカ住宅の要素を知ることで、現代の住空間づくりにも活かせる多くのヒントが得られる一冊です。
東京の歴史的邸宅散歩
- 特徴:歴史を物語る東京の名邸宅を巡る写真集
和田久士の『東京の歴史的邸宅散歩』は、都内に現存する貴重な歴史的邸宅を、美しい写真とともに紹介する一冊です。震災や戦火をくぐり抜けた建築は、皇室、華族、財界人、文化人、政治家など歴史上の重要人物が暮らした邸宅が多く、それぞれの時代背景や住人のこだわりが反映されています。迎賓館や旧岩崎邸庭園、鳩山会館など、歴史と芸術が融合した建築を知ることで、東京の新たな魅力を発見できます。 - 見どころ:豪華な写真と建築・歴史の解説で楽しむ邸宅巡り
本書の見どころは、木村伊兵衛賞受賞カメラマンである和田久士による臨場感あふれる写真と、各邸宅の歴史や建築技術を詳しく解説した点です。迎賓館の華麗な装飾や、旧前田侯爵家本邸の重厚な和洋折衷のデザイン、文化人が愛した静謐な空間など、建築美と歴史が交錯する魅力的な邸宅が多数収録されています。邸宅巡りを楽しむための東京散策ガイドとしても活用できる一冊です。
ヨーロッパの素敵な家 フランス・スペイン・イタリア
- 特徴:ヨーロッパ3カ国の伝統的な家と暮らしを知る写真集
和田久士の『ヨーロッパの素敵な家 フランス・スペイン・イタリア』は、フランス・スペイン・イタリアの各地方に根付く美しい住宅を、オールカラーの写真で紹介する一冊です。外観だけでなく、普段はなかなか見ることのできない室内の様子も豊富に掲載。さらに、個々の家だけでなく、地域ごとの集落の特徴も捉えており、その土地の歴史や文化まで感じられる構成になっています。コンパクトな判型ながら、内容は非常に充実した写真集です。 - 見どころ:地方ごとの建築の違いを美しい写真で堪能
本書の見どころは、地域ごとの建築様式の違いを、外観・室内・集落の風景を通じて丁寧に紹介している点です。フランスの石造りのシャトー風住宅、スペインの白壁が映えるアンダルシアの家、イタリアの温暖な気候に適したシチリアの住まいなど、それぞれの土地の風土が住宅にどのように反映されているのかがよく分かります。旅行気分を味わえるだけでなく、日本の住宅デザインの参考にもなる一冊です。
影響と貢献:写真界と建築界に与えたインパクト
和田久士の影響は、写真界だけでなく、建築界にも広がっています。彼の写真は、建築家やデザイナーにとってインスピレーションの源となり、多くの住宅設計やリノベーションの参考資料として活用されています。特に、彼が撮影した歴史的邸宅やヨーロッパの住宅は、現代の住まい作りにも大きな示唆を与えています。
また、彼は宮崎駿監督とのコラボレーションも行い、『トトロの住む家』の撮影を担当。この作品は、ジブリ作品に登場する家のモデルにもなり、多くの人々に影響を与えました。
和田久士の作品を通じて、私たちは「住まいとは何か?」を改めて考えさせられます。彼が捉えた「暮らしの中の美」は、これからも多くの人々に影響を与え続けるでしょう。
